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東京高等裁判所 昭和42年(ネ)2699号 判決 1969年4月05日

控訴人(附帯被控訴人)

東京海上火災保険株式会社

代理人

田中慎介

ほか二名

被控訴人(附帯控訴人)

ブルゲル・サエコこと

梅津砂江子

代理人

根本はる子

ほか一名

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、金一六一、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年一一月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人その余の請求を棄却する。

本件附帯控訴を棄却する。

控訴につき訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を被控訴人、その余を控訴人の負担とし、附帯控訴につき控訴費用は附帯控訴人(被控訴人)の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決並びに附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決並びに附帯控訴として「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し金三〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年一一月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の関係は次のとおり附加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここに、これを引用する。

(被控訴代理人の陳述)

一  被控訴人の訴外ゲオルグ・ハンス・ブルゲルに対する自動車損害賠償保障法第三条に基づく損害賠償請求権は発生し存在する。

(一)  不法行為法の適用は夫婦関係の故をもつて排除さるべきではない。夫婦別産制をとるわが民法においても家庭の統一平和の観念から、婚姻費用の分担義務、家事債務の連帯性相互扶助義務などの規定があり、或程度の制限が加えられている。しかしこれらの場合を除けば、夫婦であつても個人主義をとるわが法制としては独立の権利主体であつて全く他人の場合と同様に取扱われる。特有財産について夫婦の一方が他方の財産を第三者に譲渡したとき、又は生命身体に対する故意の侵害があつたとき、過失運転行為による傷害の場合など、夫婦間においても不法行為に基づく損害賠償責任が発生するのは当然のことである。夫婦間の協力扶助義務を理由に責任を排除するのは妥当とはいえない、扶助義務は一般的な社会生活において夫婦関係の本質から認められるものであり、しかも双方に生活力のある場合には具体的な権利として発生しているわけではなく、交通事故というような異常な事態において不法行為法の適用を除外するいわれはない。

要するに夫婦間における不法行為に基づく損害賠償請求権は、夫婦間の出来事として社会通念上許された行為と認められ、違法性が阻却される場合を除けば、他人間と同様に発生するものであり、その請求権の行使については家庭の統一平和の観念から夫婦間の信義則に反した場合に、はじめて権利の乱用となると考える。

(二)  被控訴人は自賠法第三条の「他人」に該当する。自賠法第三条は民法不法行為法の特例法であるから、同条が夫婦間の交通事故について適用が排除される必然性はない。同条にいわゆる「他人」とは運行供用者および当該自動車の運転者を除くそれ以外の者をいうのであり(最判、昭和四二年九月二九日、判例タイムズ二一一号一五二頁)、被控訴人は運転者に当らないのは勿論、運行供用者にも当らないのであつて「他人」に含まれるものである。けだし本件自動車は訴外ハンスの特有財産としてその所有権は同人に存したのであり、被控訴人が右自動車に対して使用権または運行支配権及び運行利益を有したものではないからである。本件自動車は同訴外人の通勤用のものであり、専ら同人が運転していたものである。運行供用者概念は自賠責任を誰に負わせるかを定める基準であつて被控訴人を「他人」から除外するために運行供用者であるとするならば、被害者が被控訴人でなく第三者であつた場合に被控訴人は運行供用者として常に責任を問われざるを得ない不合理な結果を招来する。

二  以上のとおり訴外ハンスの被控訴人に対する自賠法第三条の責任が発生した以上同法第一六条一項により被控訴人が控訴会社に対し損害保険金請求権を行使することは是認されなければならない。

(一)  保険規定であるわが自賠法第一一条は責任規定である同法第三条によつて生ずる責任をそのまま担保する形式をとつており、保険者免責の規定は何ら存しない。

(二)  親子間の名誉毀損による謝罪広告を請求した事件及び不法占有による損害賠償請求事件に関する判例は家庭の統一平和の観念からの制限であるのに反し、自賠法の保険金請求権を取得、行使すること、従つてまた夫婦間に自賠責任を認めることは家庭を一層豊かにすることであつて、身分法の理念と矛盾しないばかりでなく、自賠法の被害者保護の立法精神にも合致する。

三  最後に被控訴人は附帯控訴の理由として次のとおり主張する。

(一)  原判決は、その理由三において、被控訴人(原告)主張の損害中(一)の1ないし4、7の一部、8ないし10については加害者がこれを支払つたことに帰し、被控訴人(原告)の損害は残存していないこと、(一)の6、7の残部、11についてはこれを認めるに足りる的確な証拠がないこと、(二)については特に加害者が被控訴人の夫であつて両名は事故後も通常の夫婦生活を送つていることを考え合わせると慰藉料としては金六〇、〇〇〇円が相当であることを理由に被控訴人の請求を一部棄却した。

しかしながら被控訴人に対する本件事故の諸費用は被控訴人自らが負担したものであつて、夫である訴外ハンスが支出したものではない。また、自賠法第一六条二項によれば、被保険者が被害の賠償をした場合において保険会社が被害者に対する保険金の支払義務を免れるのは保険会社が被保険者に対してその損害をてん補した金額の限度においてである。したがつて被控訴人に発生した損害につき被保険者たるハンスがその賠償として被控訴人のため諸費用を支払つたとしても、保険会社である控訴会社は被保険者たる右訴外人に右諸費用を支払わない限り被害者である被控訴人の請求に対して賠償額の支払を免れるものではない。

(二)  仮りに右主張が認められないとしても、被控訴人は昭和四一年九月二日控訴会社に対し保険金の被害者請求をなし、同書類は事件番号第六六二六五一号として強制賠償課中島某に受理されたが、同年一〇月一五日頃控訴会社より請求を拒絶されたので、己むを得ず弁護士に依頼して東京地方裁判所に本件訴訟を提起するに至つたものである。そこで次のとおり本件第一、二審の弁護士費用を負担し、本件事故により合計金一三四、五二〇円の損害を蒙つた。

原審着手金三六、〇〇〇円(訴額の一割二分)

報酬金二六、五二〇円(勝訴分の一割二分)

控訴審着手金三六、〇〇〇円

報酬金三六、〇〇〇円

合計 金一三四、五二〇円

以上のとおりで本件事故のごとき事例においては、被害者は加害者に対してではなく、保険会社に対して賠償額を請求するのが通例であり、しかも保険会社に対して請求したところ拒絶され、本件訴訟となつたものであつて本件事故と本件訴訟による弁護士費用の損害との間には相当因果関係があるものと考える。

よつて被控訴人敗訴部分の金額にみつるまで右損害の賠償を求めたく附帯控訴に及んだものである。

(控訴代理人の陳述)

一  本件において被控訴人は少くとも自動車の共同運行供用者であり、実質上の保有者とみられるから自賠法第三条の「他人」にはあたらない。

すなわち被控訴人と訴外ハンスは我国に普通に見られる夫婦共同生活を営んでいるものであり、被控訴人は同訴外人の妻として家庭にあつて日常生活のきりもりをし、夫たるハンスは外にあつて生計の資を得、これを妻に渡し協力してブルゲル家の夫婦共同生活を営んでいるのである。夫婦にあつては家庭内にある財産はいわば共同の財産であつて共同利用の関係にあることは多言を要しないところであり、その管理権支配権も夫婦の双方に属するものと見られる場合が普通である。現在の我国においては夫婦共同生活を営むものが乗用自動車を購入する場合夫又は妻それぞれの利用の度合は別論として、その殆どは夫婦の共同利用のために購入するものであり、夫のみ又は妻のみの専用車というのは例外に属する、本件においても、その例外ではなく、本件自動車は夫ハンスが利用するだけでなく、夫妻のドライブ、妻の自動車練習所への往復、妻の自動車練習用などに用いられていたのであり、本件自動車はいわばブルゲル家の夫婦共同体の財産であり、実質的にみてその利用権、管理支配権は夫婦の双方に属していたことが明白である。しかも本件事故は被控訴人が夫であるハンスと共にドライブをするため本件自動車に同乗し、ドライブ中に生じたものであるから、いうまでもなく、被控訴人は本件自動車の運行につき支配力並びに運行上の利益を有していたことが明らかである。したがつて被控訴人は共同運行供用者として実質上の保有者と認めらるべきであり、自賠法第三条の「他人」には該当しない。

二  夫婦間において一方が他方の身体を傷害した場合は違法性がなく、不法行為法の適用はない。

(二) すなわち夫婦は愛情を絆とする婚姻共同体であり、親子とともに狭義の親族共同体中最も緊密な関係にあるものである。これら婚姻共同体、親子共同体等を規律の対象とするのが所謂身分法であるが、身分法は本来人の生殖、哺育のなめの活動を規律する法であり、講学上保族的社会関係を規律する法といわれている。一方、一般の取引関係を中心とする社会的生活関係を規律するのは所謂市民法(財産法)であり、市民法は本来人の財貨の生産、再生産のための活動を規律する法である。したがつて両者はその規律する対象を全く異にし、本質的に別個の法領域に属する法規範であり、その法解釈の原則についても、前者については相互扶助の原則、無償の原則が全体を貫いているのに反し、後者については、話し合いの原則、有償の原則が指導原理をなしているし、その解釈に当つては、前者については道徳、習俗、宗教等に従いなされることが要求されるのに対し、後者においては個人の自由、信義誠実の原則等を顧慮せよとされている。したがつて法の適用にあたつても、一般の社会生活関係においては個人の権利義務を中心とした市民法が適用されるのに反し、身分法の支配する領域においては、身分法の規律の対象である婚姻共同体、親子共同体等が人の社会生活関係の基盤をなしている点、また身分法は右のような特殊の法領域に属するものであることから婚姻共同体、親子共同体等の保持、安定という目的実現のために、その範囲において市民法の適用は制約をうけ、身分法が優先適用されるのである。けだし夫婦間、親子間においては、婚姻共同体、親子共同体の保持、安定が第一目標であり、右目標到達のために扶助義務がなんらかの形で、履行されている限りにおいては、不法行為による損害の救済はそれに委ねらるべきであり、みだりに市民的権利の主張としての損害賠償請求権の行使を認むべきではないからである。夫婦間の同居協力扶助義務を定めた民法第七五二条も「法律は家庭に入らず」の法諺のように、夫婦関係は法律的というよりは、むしろ道徳的、宗教的、愛情的なものに委ねることが至当であるとの考えに立ち定められたものであり、婚姻費用分担義務を定めた同法第七六〇条も同趣旨の規定と考えられるが、いずれにしても我が民法は、親子共同体と共に社会生活関係の基盤ともいうべき夫婦共同体の円満な保持を目的としているものと思料されるのである。このような身分法の目的から考えて、家庭生活が円満に営まれている限り、夫婦は、夫婦共同生活において互に助力の申出に応じ、また市民的権利の主張を抑制されなければならないのである。判例も、親子間の問題についてではあるが、親が子の名誉をきづつけ子の社会的地位に損害を加えたという理由で子が親を被告として訴え、謝罪広告を要求した事件(東京地裁判決、昭和七・一一・二四、法律新聞三、四九一号)及び母が子の所有地を無断耕作したとして子より母に対して、損害賠償を請求した事件(大審院判決、昭和一八・七・一二、民集二二巻一五号六二〇頁)において、親子法が親子共同体の保持を目的としているところから、真にやむを得ざる相当の事由に出たる場合のほかは、子が親を訴えることは許されないものとしているのである。殊に不法行為制度は一般の社会的生活関係において生ずる損害の負担の公平な分配を定めたものであつて、純粋に財産法的制度であるから、婚姻共同体内における事故については、夫婦関係が破綻にひんしている場合など夫婦共同生活としての実質を備えないような特段の事情のない限り、不法行為法の適用は排除されなければならないのである。

(二) 原判決は、その理由二の(三)において、自賠法の適用をみるのは加害者と被害者が他人であるのが通例であるが、夫婦間の事故については適用がないとする除外規定はなく、条理上も不都合はない。また通常の円満な夫婦間において不法行為による損害賠償を求めることは実際上考えられないが、自賠責保険があるときは、夫の資力を保障することにより実益があるから夫婦間に協力扶助義務があることは、これと平行競合して不法行為の賠償義務を認めることと矛盾しないし、自賠責保険の立法趣旨にも合致すると判示している。しかし原判決は自賠法の立法趣旨を誤解し、また市民法の領域における請求権競合理論を安易に身分法に流用し判断したものであつて失当である。既述のとおり通常の夫婦間においての夫婦共同生活に起因する過失行為については身分法が優先適用され、市民法に属する不法行為法の適用はないのであり、もし原判決の云うように夫婦間の協力扶助義務と市民的権利の主張たる損害賠償請求との平行競合を認めるとするならば、同居協力扶助の義務(民法第七五二条)、婚姻費用分担義務(民法七六〇条)等を定めることにより、円満な家庭生活の中に婚姻共同体を保持せんとする身分法上の目的が全く損われる結果ともなるからであり、夫婦間にあつては、たとえ身体傷害に伴う医療費の支出等の事実があつたとしても、それは、夫婦関係が破綻対立状態になつているなど特段の事情のない限り、協力扶助義務、婚姻費用分担義務の履行に過ぎないのであり、不法行為による損害賠償として支出提供されるものではないからである。自賠法はこのような我国の法体系のもとに制定されたものであつて、本来右のような夫婦共同生活に起因する自動車事故を保護の対象とはしていないのである。このような立場において保険制度、保障制度が確立実施され、我国の保険会社及び国において同法施行(昭和三〇・一二)以来一三年の永きにわたり、前記趣旨のもとに、このような自動車事故は保護の対象としないとの取扱いをなし来たり、現在も行つており、自賠法運営上の慣行となつているのが実情である。したがつてこのような夫婦間における自動車事故につき原判決の如き取扱をすることになれば我国自賠法制度を根本から変更し、また過去の処理も問題化し、由々しき事態を惹起することともなるのであつて、原判決はこのような実態上の制度の正当な理解もなく、また本制度の本質を誤解し安易なる判断をなしたものであり甚だ当を欠くものといわざるを得ない。

(三) 仮りに以上の主張が認められないとしても、被控訴人には慰藉料請求権は認められるべきではない。

既述したように被控訴人は夫ハンスと共にドライブするために本件自動車に同乗していたものであり、且つ、被控訴人はハンスと共に円満な家庭生活を営んでいるものであるから、治療費等の請求は格別、少くとも慰藉料の請求は許さるべきではない。

本来、自賠法第三条の「他人」は、通行人その他の加害自動車の外部の一般人を意味するのであるが、従来の判例はこれら全く純粋の「他人」のほかに、好意(無償)の同乗者も「他人」の中に含ましめて解釈し、これに対して保有者責任を認めて来た。しかるに好意によつて同乗させた同乗者を、純粋の他人と全く同様に扱うことの妥当性を疑問とする立場から最近の判例は、好意同乗者の場合過失相殺の法理を準用して賠償額の縮減を行う傾向にある。本件の場合においては、被控訴人は夫ハンスと共に一家で郊外にドライブに行く為に同乗し、ドライブ中に事故を惹起したものであり、且つ、夫ハンスと被控訴人とは円満に家庭生活を営んでいる夫婦であるのであるから、本件の場合、被控訴人を所謂「純粋の他人」と同視し、夫ハンスに対する慰藉料請求権を認めることは、自賠法に除外規定がないからとはいえ、余りにも被害者保護に偏し過ぎ、自賠法の立法趣旨に反する結果となると共に、また前記判例の傾向にも逆行することとなる。若し、円満な夫婦生活をしている夫婦の一方に、他方に対する慰藉料請求を認めるとするならば、身分法が協力扶助の義務等を定め、婚姻共同体の保持、安定を図らんとする趣旨を全く没却せしめる結果となるのである。したがつて仮りに被控訴人の夫ハンスに対する損害賠償の請求が認められるとしても、治療費等は格別少くとも慰藉料の請求は許容さるべきものではない。

三  最後に、被控訴人の附帯控訴について次のとおり反論する。

(一)  自賠法第一六条二項の主張について。

被控訴人は、自賠法第一六条二項が、「被保険者が被害者に損害の賠償をした場合において、保険会社が被保険者に対してその損害をてん補したときは、保険会社はそのてん補した金額の限度において、被害者に対する前項の支払の義務を免かれる。」と規定しているので訴外ハンスが被控訴人のため治療費等の諸費用を払支つたとしても、控訴会社が訴外ハンスに損害のてん補としての保険金を支払つていない以上被害者たる被控訴人は訴外ハンスが支払つた右諸費用についても控訴会社に対し直接請求できるものと主張する。

しかしながら賠自法第一六条二項の規定は被保険者たる加害者が被害者に損害賠償をなし、保険会社が被保険者にその損害をてん補した場合すなわち同法第一五条の加害者請求に保険会社が応じ保険金の支払をした場合は、当然に同法第一六条一項の被害者請求はできないということを注意的に明らかにしたに過ぎないのであつて、被害者が加害者から直接損害の賠償をうけ損害がその範囲で存在しなくなつても、被害者は保険会社にその額を請求できるとした規定ではない。けだし、このような解釈が認められるとすれば、被害者の不当利得の返還の問題として当事者間に無益な争を生ずるに至ること必然であるからであり、被控訴人の主張は右規定を曲解したものである。訴外ハンスが被控訴人のため支払つた諸費用については、原審も認めるように被控訴人に損害が存しないのであるから、訴外ハンスが右費用について保険金の請求をなすのならば格別、被控訴人が自賠法第一六条二項に基づいて控訴会社に対し被害者請求をなすのは理由がなく失当である。

(二)  弁護士費用の請求について。

被控訴人は控訴会社に対し保険金の支払を請求し拒絶されたので本件訴訟を提起したものであるから、本件事故と本件訴訟による弁護士費用の損害との間に相当因果関係がある故弁護士費用を保険金として請求する旨主張する。

しかしながら通常不法行為において弁護士費用が被害者の損害として加害者に損害賠償義務が認められるのは、加害者が損害賠償債務の支払を不当に拒み、そのため被害者が弁護士に依頼した場合の弁護士費用についてである。これに反し本件においては、保険会社たる控訴会社は、運輸省の認めた査定基準及び従来の慣例に従い、支払ができない場合であるので、これを拒否したものであり、被控訴人の請求を故なく不当に拒否したものではないのであるから拒否した行為自体には違法性はない。しかも控訴会社は加害者自身ではないのであるから、加害行為の違法性は、この場合、控訴会社の拒否行為の違法性に何らの影響を及ぼすべき要素とはならない。したがつて控訴会社の拒否行為により不法行為は成立しないから控訴会社には被控訴人が負担したとする弁護士費用相当額についての損害賠償債務は存在しないのである。

よつて被控訴人の本件附帯控訴はいずれにしても失当であり、棄却を免れない。

(証拠)<省略>

理由

当裁判所の、本件における保険契約および事故の発生(争のない事実)、控訴人の抗弁に対する判断、被控訴人の蒙つた損害についての判断は後記一、二のとおり附加するほか、原判決の理由記載と同一であるから、ここに原判決理由中一、二の(一)ないし(三)および三の(一)の各記載を引用する。

<証拠判断略>

一自賠法第三条にいう「他人」の中に運行供用者の配偶者が含まれると解すべきかは一応問題である。個人本位の市民法体系からみれば、夫婦は互に独立の人格者であつて一方が他方に包容される関係にないから、一方に対し他方は疑もなく、他人であり、したがつて、夫がその所有の自動車を運行の用に供しているものである場合には、妻が平素その車に同乗している場合であつても、妻は運行供用者たる夫に対する関係では一応他人と認められる。しかし、夫婦共同生活の実態に即してこれを考えるとき、右の理をそのまま自賠法の関係にまで推及すべきかは疑がある。夫婦の財産は法律上はともかく、事実上は相互にあるいは共同して自由に利用される場合が多く、特に自動車のごときは夫婦を中心として家族全員がこれを利用するのが普通であるとみるのを常識とする。それ故に、妻が夫の使用人である運転手に命じて夫所有の自動車を運転させ、その走行中自動車事故を惹起して他人に傷害を与えた場合には、夫に自賠法第三条による責任を生ずるのは格別、妻にも同条による責任を生ずるものと解する余地がある。この意味において、被控訴人がその夫ハンスとともに本件自動車の共同運行供用者であつて、右法条にいう「他人」にあたらないとする控訴人の主張は必しも一理なしとしないと考えるのである。

しかし、妻が運行供用者であるか、他人であるかは、必ずしもしかく画一的に解さなければならないものではなく、対第三者の関係と対夫の関係とでこれを相対的に解することが許されるのではないかと考える。

このことは、たとえば、同一使用者の従業員二名が交替で使用者所有のトラックを運転中その共同の過失で第三者に傷害を与えた場合には、従業員は二名とも使用人の立場にあると考えられるが、二名中の一名の過失で自動車事故を惹起し、他の一名に傷害を与えた場合には、その一名は使用者との関係では使用人の地位を離れ、自賠法第三条の「他人」たる地位に立つと同断であると思うのである。ところで、本件は夫ハンスの過失により自動車事故を惹起し、要たる被控訴人が傷害を受けたという関係にあるのであるから、被控訴人はハンスに対する関係では同法条にいう他人の地位にあると解するほかはない。

二夫婦間の関係においてももとより不法行為上の権利関係が成立する。しかし、夫婦関係が円満に継続している間に配偶者の一方が他方に対して不法行為を理由として権利を主張することは通常考えられず、また、かかる主張をすることは夫婦間の情誼倫理観念に反し許されないと考えられる。のみならず、これを許しては夫婦関係の破綻を招来する契機をつくり、かえつて、家庭内に紛乱を導入する結果を惹起する。そして以上のことは、特に、不法行為が過失にもとづくものである場合に顕著である。この意味において、控訴人の主張する「法律は家庭に入らず」の法諺は、夫婦間の不法行為を原因とする権利関係に妥当すると思うのである。

しかし、右のことから、本件において妻たる被控訴人が夫ハンスの控訴人に対する自賠法による自動車損害賠償責任保険にもとづく保険金の請求をなし得ないと即断することはできない。被控訴人が夫ハンスに対し本件自動車事故にもとづく損害賠償の請求をすることは許されないとしても、他面において夫ハンスが法律的にもまた道義的にも被控訴人のよつて受けた傷害を治療すべき責任を負うことも当然である。ところで、自動車損害賠償責任保険は被保険者が自己の過失により自動車事故を惹起して自己以外の者に傷害を与え、その結果その治療費等の失費を余儀なくされる場合に、その損害を保険によつて填補をえさせようとするにあるのであるから被保険者に右の失費を余儀なくさせる事由が発生した以上、被保険者がこれを損害賠償義務の履行として出費するものであるとを問わず、その出費すべき額を限度として保険会社は保険契約者に対して填補の責に任ずべく、したがつて自動車事故の被害者も右の額を限度として被保険者より給付を受けない額につき、直接保険会社に対してこれが支払を求めることができるものと解するを至当と考える。本件の自動車事故により被控訴人は負傷し、その治療のため夫ハンスが治療費等を出費すべきことは当然であるから、控訴人は被控訴人に対し、その全治までに要した費用からすでに夫ハンスの支出した額を控訴し、その残額を支払うべき義務があるものといわなければならない。

しかし、被控訴人の慰藉料請求は認められないと解する。けだし、夫婦生活が円満に営まれていながら配偶者の一方が他方に対して慰藉料を支払う場合はあり得ないと思うからである。円満な夫婦関係のもとにおいては、少くとも一方の過失による不法行為に対しては、他方は宥恕し一方の責を全然問わないのが普通である。上に述べたように自動車損害賠償責任保険の場合には、この場合でも一方が他方の治療等のため出費すべきものと認められる額は究局においては夫婦共同体の負担に帰すから、これを保険給付の対象とすべきものと思われるが、慰藉料は他方の宥恕によつて現実に支払われる場合はありえず、夫婦共同体の財産の減少を招くことはないから、これを保険給付の対象とすべきではないと考えるのである。

元来自賠法による損害賠償責任保険のごとき特殊の保険において、通常権利行使の予想されない損害賠償責任が保険の目的となると解すべきかは、疑の存するところである。権利行使の予想されない損害賠償責任は事実上存在しないと同様であり、これを保険の目的とするに適しないとも考えられるからである。夫婦、親子間の損害賠償責任は正にこの種の責任に属する。しかし現行法上かかる責任を特に除外する規定は存しないから、当裁判所は夫婦、親子の一方がその過失により自動車事故を惹起して他方に傷害を与え、ために出費を余儀なくされる場合は、その限度でその損害を保険によつて填補しうると解するのである。しかし保険による填補は右の限度でのみ是認し得る。保険は被保険者に利益を得しむる制度ではないから、被害者の得べかりし利益または慰藉料のごとく、加害者(被保険者)の出費の全く予想されない責任までも保険の対象となるとするのは行きすぎと思うのである。そうでないと夫婦、親子の一方が他方の過失によつて死亡した場合には、一方が他方に対して取得すべきうべかりし利益または慰藉料の権利は、相続によつて他方が取得し、混同によつて消滅する結果、他方になんらの実損がなく保険給付を受けられないにかかわらず、被害の軽い傷害の場合にかえつて保険給付を受けうる奇観を呈するであろう。この場合でも他方は一方の生存によりうべかりし利益の限度で事実上利益の享受を妨げられるといえないことはないが、法律上混同によつて損害賠償責任が消滅する以上、その責任填補のための保険給付請求権はこれを認むべき根拠がない。いわんや慰藉料においておやである。

三そこで被控訴人の附帯控訴について判断する。

(一)  被控訴人は、本件事故の諸費用は被控訴人自らが負担したものであつて夫ハンスが支出したものではないと主張するが、当審における被控訴人本人の供述に徴しても、本件事故による治療費等のうち既払分は結局ハンスがこれを支出したことに帰し、損害の残存すると見るべきは未払分金一六一、〇〇〇円のみであることが明らかであるから、右主張は採り得ない。

(二)  次に、被控訴人は自賠法第一六条第二項を根拠に、仮りに被保険者たる夫ハンスが被害者たる被控訴人のため諸費用を支払つたとしても、保険会社である控訴人は被保険者である右ハンスに右諸費用を支払わない限り、被害者である被控訴人の保険金支払請求に対してその支払を免れるものではない旨主張する。

しかしながら自賠法第一六条二項の規定は被保険者たる加害者が被害者に損害の賠償をなし、保険会社が被保険者にその損害を填補した場合には、その限度において同条第一項の被害者請求に応ずる必要はないという当然の事由を注意的に規定したに過ぎないものであつて、被保険者たる加害者が被害者に損害の賠償をなしたことが証明されても被保険者に保険金の支払がなされない以上保険会社は被害者請求に応ずべきであるとして、いわば被害者に二重取りの請求を許容したものではない。したがつて保険会社は保険金を支払つていなくとも、被害者が被保険者(加害者)より賠償金を受領している場合には、その限度において被害者の直接請求に応ずる義務はない。けだし賠償金の受領により、その限度において被害者の損害は填補されたのであるから、損害のないところに損害保険金支払の義務がある筈はないからである。それで右を理由とする被控訴人の附帯控訴も理由がない。

(三)  最後に、被控訴人の附帯控訴にかかる弁護士費用の支出による請求も認められない。そもそも、本件は保険会社に対する保険金の請求であつて、不法行為による損害賠償の請求ではない。保険会社である控訴人は本件自動車事故に関しなんら不法行為上の責任を負つているわけではなく、その責任を負う者は夫ハンスなのである。それ故に、ハンスがその責任を果たさないため被控訴人が弁護士に委任してその責任を追及し、これがため弁護士に対して費用、報酬を支払うことを余儀なくされたときは、その額はあるいは本件責任保険にもとづく保険給付の対象に含まれる場合があるかも知れないが、保険会社たる控訴人が保険金を支払わないため被控訴人が弁護士に委任して、その支払を請求したからといつて、そのなめに支出を余儀なくされる費用、報酬までも保険給付の対象となるということはできない。その費用、報酬についてはたかだか控訴人が保険金支払の債務を履行しないことを理由として、控訴人の債務不履行または不法行為上の責任を追及することができるかどうかが問題となるだけである。約言すれば、保険会社たる控訴人が保険金の支払をしないことによる被控訴人の損害は、控訴人の行為に原因するものであつて、本件の事故との間に相当因果関係のある損害ではない。のみならず、配偶者の一方がその過失により自動車事故を惹起して他方に傷害を与えた場合に、他方が保険会社に対して自賠法による損害賠償額の請求をすることができるかどうかは議論の存するところであつて、主務官庁や自動車損害賠償責任保険共同本部の見解としてはむしろこれを消極に解しているから<証拠>控訴人としてもこの見解に従い被控訴人の本件請求を拒否したのもあながち無理からぬところであつて、その所為を目して故意にその義務を回避しようとしたものとしてその間に不法行為の成立を認めることはできない。いずれにせよ、本件自動車事故に起因する損害賠償額の請求として弁護士に委任したことによるその費用、報酬の額の支払を求める被控訴人の附帯控訴の請求は、その額の判定に立ち入るまでもなく、理由がない。

四以上の次第で被控訴人の本訴請求は未払治療費分金一六一、〇〇〇円とこれに対する、本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四一年一一月二六日から右完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容すべきであり、その余は失当として棄却を免れない。

よつて本件控訴は一部理由があるから、右と異る原判決を右の限度に変更すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条を適用し、本件附帯控訴は理由がないからこれを棄却すべく、附帯控訴費用につき同法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(長谷部茂吉 石田実 麻上正信)

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